ユルさ / Tolerance @ 269日目
[給水塔とピクニックする人たち]
[Water tower and people]
最近ずっと考えていることがある.確かに「きちんとしていること」は大事だ.飛行機の操縦とか,工業製品とか,ちょっとでもいい加減なところがあると人命にかかわる事態に及ぶこともあるだろう.
しかし「ユルさ」というのか「いい加減さ」も時には必要になるのではないかと思えてならない.
僕が日本人的な発想をしているのかもしれないけれど……あ,いや,訂正します.僕は日本人の中でもかなりいい加減な人間だからかもしれないけれど,時と場合に応じていい加減である事も大事である,最近考えるようになった.
特に,他の人に対して寛容であるという意味の「いい加減さ」が必要なのかと思った.
フィンランドと日本を比較して感じたことの一つに,礼儀とか道徳でない部分でも「こうでなければならない」という暗黙のルールが日本はものすごく多いということだ.例えば「大学を出たらすぐに働かなくてはならない」とか「常にポジティブでいなくてはいけない」とかだ.
そのルールから外れた者を,口には出さないが「ダメな人」と見なしているような印象を強く受ける.さらに,そういう構図に一旦気付くと,社会の息苦しさのようなものが見えてきてしまう.
確かに負の部分を肯定するのは難しい.でもそういう部分があることを知るだけでも,少し社会は変わるのかもしれないと思った.
<English>
One of the most surprised things for me after staying in Finland is “Tolerance”.
I have felt there are many tacit rules in Japanese society outside the scope of moral or manner. For example “Immediately students must get a job and start work after their graduate” “Human beings must be positive all the time”, “Students must have curiosity every time”, “Workers must not go home their seniors go home.”.
If someone drop off these tacit rules, others will regard them as a loser or a failure. But many Japanese people are so kind that they don’t say it (but some of them feel so).
Truly, it is impossible to justify or accept all things, but at least I try to have tolerance for other people and me…
- 何故僕は伝えようとするのか,知りたいと思うのか?意外に僕はこの問いに答えられないかもしれない. Why do I want to tell and know? I am afraid that I can’t answer this question.9:42 PM May 26th Twitter for iPhoneから
- mixiは完全放置だったので,mixiボイスとtwitterを連携させてみた.ちゃんと動くのかな.9:31 PM May 26th Twitter for iPhoneから
- 色々な方に感謝の気持ちを伝えないといけないのだが,どうも最近の自分は自信がなくなっている様で,コミュニケーションを取るのを躊躇してしまう.これじゃいかんなぁと思いつつ,少し考え中.この状況から抜け出るのは自分自身じゃないとできないことはわかってるんだけど.9:28 PM May 26th webから
- 全滞在期間を夏休みに例えた場合,今がちょうど8月20日の夜ぐらいになる.あと少ししかないと考えるか,あと10日もあると考えるか.9:16 PM May 26th webから
- 最近本当に自分の無力さ,無能さ,未熟さを痛感する.だけど僕にはこのぐらいがちょうどいいのかなと思う.6:09 PM May 26th Twitter for iPhoneから