「自分が何も知らない事」を知ることを実感する。

朝8時から、地域の分別ゴミ回収。今日は二人で力を合わせて取り組んだので、あっという間に終了。その後、車で近所のスーパーに食材を買い物。美味しそうな、粒の整ったお米が売られていたので、購入。どんな味なんだろう。今日の夕飯はお好み焼きにすることにした。
午後は贐に向かう。明日からのご活躍を願ってやまない。
帰宅し、お風呂の中でぼーっとしている時に、研究のアイデアが浮かんだ。鈴木健二氏の発言が、かなり奥の腑まで効いてきたようだ。今日は昨日の続きなんだと実感。
そういえば、僕は物事を知っていそうで知っていない。ソクラテスの「無知の知」も知識として知っている。さらに、それだけでは何の屁のツッパリにもならないことを知ってもいる。
しかし、それでも物事を知っているとは言えないのではないかと思った。知識へのアクセス方法しか知らないのではないか。知るというこは、もっと体が打ち震えるような、実感を伴うのではないかと感じた。
白玉の作り方とか、ゴーヤの美味しい作り方とか、あふれるほどの「情報」はネット上にあるけれど、「実感」はない。それは利点でもあり欠点でもあるが、うまく補い合えばうまくいくだろう。そんな気がした。
なんかよくまとまってませんが。
■今日の一枚
こういう「子どもの絵」は奥深くて楽しい。覚えたて(だと思われる)ひらがなも趣深い。「伝える」ということの本質を、思い出させてくれる一枚。
もあるかな/めるかな?

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