繭(まゆ)cocoon
繭(まゆ)cocoon
朝早くに起きて、塾の冬期講習に向かう。生徒ががんばってくれるので、こちらも熱心になり、延長してしまう。それから学校に出勤(?)。年賀状を書き上げ、あとはポストに入れるのみだ。
先日の事だが、新聞を読んでいて「コクーン」という言葉を知った。コクーンとは繭(まゆ)のことである。この言葉の出所はアメリカらしいのだが、情報化の進んだ国ならではの言葉である。情報化がすすみ、極端に言えば「外に出ずに生活をする」ことも可能になった。インターネット上でショッピングをし、会話を楽しみ、仕事をする……。このような人たちの状態(もしくは人そのものを)コクーンと呼ぶらしい。
確かに治安の悪い場所で、危険を犯してまで買い物をするよりも、安全なネットワーク上でショッピングをしたり生活をしたりすることに利点も一理あろう。しかし、僕には何かが足りないように思えるのだ。
そう、コミュニケーションが偏っているのだ。僕はコミュニケーション論を専攻しているわけではないが、コミュニケーションというのは「明文化できるものだけの交流」ではないのだろう。実際にコミュニケートすることと、仮想的にコミュニケートすることは違うのである。
人と話をするときは、話の内容だけを欲しているのではなくて、その状況や雰囲気(あ、一緒か)等も享受しているのであろう。
新しい状況に過敏に反応しすぎているのかもしれないが、インターネットなどの仮想空間と現実空間のそれぞれに応じた哲学も必要だし、それらをとりまとめる哲学も必要なのかもしれない(僕は現実空間∈仮想空間だとは思えない)。
あ、なんだか難しいことを書いてしまった。よし、明日はバカなことを書くぞ!