Facebook全盛の時代に思う

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思えば黎明期からウェブを使い、もう15年以上が経過した。

大学での環境に恵まれていたお陰で、ネットワークの可能性を切り開こうという意欲に溢れ、今で言うe-learningのさきがけになるような研究をすることが出来た。その後ウェブ制作を生業としてきたこともある。こちらでも仲間に恵まれ、貴重な仕事をすることができた。

業界を去る頃ぐらいから、いわゆる「Web2.0」の時代になり、全ての人が情報を簡単に発信できるようになった。昔は「情報発信ができること」イコール「時代の最先端を走ってます」的なカテゴライズがあり、尊敬されたり重宝されたりしていた記憶があるが、今では情報を発信することそのものには、何らステータスはない思う。

これだけ情報があふれている今、大切なのはその行為により「意味を作れるかどうか」ではないかと思う。俗っぽい言い方をすれば「価値を作れるかどうか」と言い換えても良いかもしれない。

そう考えるとFacebookはコミュニケーションや広報の道具としては非常に優れているが、限界が見えてくる。情報は全て均一ではなく、鮮度が求められる情報や、共感を得るための潤滑油としての情報、蓄積されることで価値が生まれる情報などのタイプがある。例えて言うなら野菜や全て同じではなく、新鮮なうちに食べると美味しいものや、貯蔵することで美味しくなるもの、地域が変わると重宝されるもの等の違いがあるが、それと同じような気がする。たぶん。

ずっとそのことが気になっていたが、日々のFacebookの便利さに流されっぱなしだった。ブログ更新の手を止めてから2年あまりが経過しつつあったが、ようやく8万2000トンほどある重い腰を上げ、再びブログを書くことに決めた。

誰しもがブロガー(この言葉もいつか古くなるんだろうな)という時代に、こんなカスのような記事を誰も見ていないと思うが、いつか役に立つだろうという、なんていうのか、ちょっとした財宝を山の中にこっそり埋めるような気持ちで、つらつらと書いていくことにした。

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